連載「技術の樹はどのようにして成長するか 創造的思考、技術革新の現場」第8回

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LSIの未来に立ちはだかる電子の散乱現象

複雑な問題を単純化して実現した近接効果補正 談 阿部 隆幸

   

(3)正規分布、行列計算から積分方程式へ

電子の散乱現象が正規分布にしたがう

 わたしが研究にとりくみはじめた1985年ころ、既に多くの電子による近接効果の補正法のための数式化が提案されていました。
 その中でも、いくつかわたしたちの研究に大きな影響を与えた研究がありました。
 二重ガウス関数(チャン)、行列計算法(パーキ)などです。
 中でもチャンの二重ガウス関数の考え方から示唆を得ました。電子が固体に衝突して起こるとてつもなく複雑に思える電子の散乱現象が、実は、ありがたいことに簡単な正規分布にしたがい、正規分布の関数でかなり良く近似できることを、1975年に、チャンという人が提言したのです。
 正規分布の関数は発見したガウスの名前をとってガウス関数、ガウシアンとよんでいます。電子のふるまいを表現するには統計学の道具を使わざるを得ないのですが、その中でもっとも簡単な道具が使えるのです。
 チャンは電子線のエネルギーを、1項目が前方散乱のガウス関数、2項目が後方散乱のガウス関数の和で近似計算できることを提案したのです。この近似式はダブルガウシアン(二重ガウス関数)とよばれ、その後の近似計算の基礎の式になりました。
 正規分布、ガウス関数はベルカーブ、ベル関数ともいいますが、統計学のもっとも基本的な式のひとつです。よく例に出されるのは、学校のあるクラスのテストの得点分布、あるいはある学年の身長、体重などで、平均値付近が最多で、その周辺はだんだん少なくなり、グラフに表すとちょうど平均値付近が高い、ベル(鐘)のような形になるのでベル関数といわれているのです。

行列計算では時間がかかりすぎる

 また1979年にはパーキによって行列計算による補正計算が提案されていました。まず、LSIの回路パターンを描くレジストの任意の箇所Aに着目したときに、他の箇所を描画する際に発生する後方散乱がAではどの程度になるかを計算します。そしてパターン全体の描画がAに与える後方散乱の量を全部足し合わせて、その量を考慮して、Aを描画するときの照射量を調節します。照射量は照射時間で調節できます。この計算をAだけでなくパターンのすべての箇所で行列計算し、パターンのどの箇所でも正味の感光量が同じになるようにすればいいわけです。
 つまり、「パターン描画のための照射量と、それによって起こった後方散乱の総和」のエネルギーを足し合わせたものは、パターン上のどこでも一定である、という行列計算の方程式を立て、これを解けば、レジストの各点の近接効果を織り込んだ最適な照射量が求められることになります。
 高等学校の数学にも出て来る行列計算について、ここで詳しくふれられませんが、異なる多くのデータの集まりを足したり、掛けたりするときに便利な方法と考えてください。
 しかし、行列を使った補正計算法では、計算時間がかかりすぎて実用化は不可能と思われました。LSIの世代が進んで、より細かな図形がたくさん配置されるようになり、パターンの密度が高くなれば、近接効果の補正に必要な計算量は増加していきます。少なくとも図形の数の3乗で計算量は増えていきます。LSIの世代が進めば計算機の処理速度も速くなることが期待できるわけですが、それよりも計算量の方がずっと速く増えてしまいます。

参考になったゴースト法

 近接効果は、一般に、レジストなど電子線を照射する対象の場所によって、照射量を調整すれば補正できますが、1983年にゴースト法と呼ばれる非常に面白い方法が提案されていました。
 これは、パターンを描画した後に補正用にぼかして追加照射するという方法です。形成すべきパターンの(白黒)反転させた形を、電子線の照射量を下げて、ぼかして追加照射します。
 近接効果では、パターンの疎密によって、後方散乱で滲んだ分が変化して、寸法が変わるのですが、ゴースト法の追加照射分は、いわばこの滲みの量をすべての場所で一定にして、近接効果による寸法誤差を大きく抑制することができます。図を参考にしてください。

他の近接効果補正法 ゴースト法

パブコビッチの近似解

 さらに1986年にアメリカのパブコビッチという人が、近接効果を補正する面白い近似的な解法を提案しました。このパブコビッチの論文には、ちょっと衝撃を受けました。実は、わたしたちも彼と似たようなことを考えていたのですが、向こうの方が先に発表しました。
 パブコビッチは行列計算ではなく、電子線の照射と後方散乱のエネルギー合計の計算は、積分方程式を解けばいいこと、簡単な近似式でかなりの精度の補正ができることを提案しました。
 積分というのは、電子のエネルギーの堆積を合計するような計算には適していますから、チャンのガウス関数とともに、この積分方程式の考え方は、わたしたちの数式化の基本になりました。<2007.10>

(つづく)

   
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