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音楽はある意味で料理とよく似て、感覚的なものです。生理的にどうしても受けつけられない臭いや味や音はあると思います。しかし、音楽も料理も文化の一部で、習得するもの、よくなじんでその良さがわかるものです。
世界中のあらゆる地域にそれぞれ独自の料理があるように、各地に独自の音楽があります。偏見や先入観を捨てて、その国の料理や音楽に接すれば、その国の文化の良さを理解することができます。
インドに行ってインドの料理が楽しめず、韓国に行って韓国料理を楽しまなかったら、旅の魅力は半減します。音楽も同様です。私が研究している西アジアや中央アジアの音楽について、「一体、こんな音楽のどこがいいのだ」という日本人も時々いますが、慣れ親しんでくるとそのよさがわかってきます。
料理ならフランス料理、音楽ならドイツ音楽が最高だと信じこんでいる人はほとんど「喰わず嫌い」だと思います。先入観や偏見を捨てれば、味覚や音楽の世界は大きく広がるのです。
どうしても羊の肉の匂いが駄目だとか、生理的に辛い料理は耐えられない人も例外的にいるかもしれません。これは幼いときから狭く限られた味覚の中で育てられた不幸な人だといわざるを得ません。異文化を受け入れるにはいささか努力も必要です。
音楽は先入観を捨てて、耳(と心)を開いて聴くということが大切です。もうかなり昔のことですが、カナダの作曲家マリー・シェーファーが「まず耳を掃除して音楽を聴きなさい」といいました。異文化の音楽が楽しめない人というのは、耳の中が、たとえば西洋音楽の耳垢で詰まっていて異なった音響がまったく入らない状態なのです。まず耳の掃除から始めようというのは、心がまえのことです。虚心坦懐に楽の音に耳を傾ければ、人類がつくりだした音楽はどんな音楽でもおもしろいはずです。
こうした音楽に対する考え方は基本的に文化相対主義に基づいています。世界のすべての音楽がそれぞれの社会でそれぞれに価値を持つのであって、どの音楽が世界に普遍的であるとか、どの民族の音楽の価値が絶対的に高いということはあり得ません。大規模な合奏や理論的に複雑な音楽が、常に価値が高いとはかぎりません。単純な楽器で奏でられる小曲や民謡が人をいたく感動させることもあるのです。すべての音楽文化は価値の上では同等なのです。

日本の音楽教育の状況は特殊です。西洋音楽があまりにも絶対視され、われわれの祖先がつくりだしてきた日本の伝統的な音楽に子どもたちが親しむ機会が、これまであまりにも少ない状況でした。
近年ようやく文部科学省が学習指導要領を改訂して、平成14年度から、中学生が三年の間に日本の伝統的な楽器(和楽器)を一つ必修で習うことになりました。小学校でも和楽器教育が始まります。和楽器ですから、琴でも三味線でも尺八でも太鼓でも、祭囃子でも(あるいは民謡でも)なんでもいいのです。和楽器を体験することで、日本の伝統的な文化の一端を認識させようということです。
この体験は同時に、国際理解にもつながります。日本の伝統的な音楽は歴史的にアジアの音楽と深い関係がありますから、近隣のアジアの諸文化を認識して、それに敬意を払う姿勢にもつながります。もっとも今日の子供たちは日本音楽を、むしろ「異文化として」楽しんでいるようです。今まで教わらなかったからとっつきにくかっただけで、実際に体験してみると、日本の伝統音楽も世界のさまざまな音楽も意外に楽しく聴けるものです。
今日ではほとんど世界中の音楽がCDで手軽に聴けます。このような音楽にたいする姿勢や考え方を「世界音楽 world music」と呼びますが、これは世界中の音楽を網羅的に集めることでも、混ぜ合わせることでもありません。これは一つのコンセプトで、世界のすべての民族の音楽に耳を傾けて、それぞれを同等に人類の文化遺産として尊重する態度をいっているのです。西洋の「芸術音楽」も世界音楽の一つにすぎません。人は世界の音楽からそれぞれ好きなものを選んで、聴くなり習得するなり、あるいはそれらを手本にして新しい音楽を創造して、楽しめばよいのです。<2002.04>
(談 つげ げんいち)
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