東芝のあかりのルーツは19世紀末、当時の東京市京橋区に設立された白熱舎まで遡れます。この電球の製造と普及を目的とした新しい会社の創立者は“日本のエジソン”と呼ばれた藤岡市助博士。日本の電気事業の幕開けを支えた人物です。
1884年、藤岡は電球製造の念願を抱き、米国で電球を発明したエジソンの研究室を訪ね、そこで、その信念を強くします。当時の電球の製造は、ガラスの管球をつくること、管球の中から空気を排出すること、フィラメントをつくること等々、最先端の技術を要するものでした。藤岡は研究を重ね、ついに日本初の白熱電球の製造に成功します。本格的な電球製造のために創設した白熱舎でしたが、創業当初の日産は数個程度でした。日々苦労を重ねた末、品質も向上し、6年後には生産規模を日産280~290個まで拡大させたのです。
1905年、藤岡はエジソンの会社である米国ゼネラルエレクトリック社との提携を図ります。1911年には、タングステン電球「マツダランプ」を発売。こうして安価で丈夫な国産電球が普及し、藤岡が理想とした社会が実現したのです。
日本の技術であらゆる電気製品をつくる。それが藤岡の決意した創業のスピリットです。米国でエジソンを訪ね「日本に帰ったら電気事業の創設に我が身を捧げます」と宣言した藤岡に対し、エジソンは「日本を電気国にするのは、大変よいことだ。だが一つだけ忠告しておこう、どんなに電力が豊富でも、電気器具を輸入するようでは国は滅びる。まず電気器具の製造から手がけ、日本を自給自足の国にしなさい」と応じたそうです。
東芝グループは電気器具だけでなく、電気をつくり電気を伝えるインフラ事業を含めた総合的な技術で、あかりを届けています。安心・安全で快適であるだけでなく、地球環境への負荷軽減を目指した「あかり文化」をつくりたい。東芝グループでは各種の発電・電力流通システムに加え、電力の安定供給や自然エネルギーの有効利用に欠かせない次世代電力網“スマートグリッド”や、火力発電所の排出するCO2を分離・回収するCCS(Carbon dioxide Capture and Storage)技術への取り組みなどを通じて、地球温暖化の防止に貢献しています。
1941年、日本初の蛍光放電灯「マツダ蛍光ランプ」を正式に発売。その後、蛍光ランプが全国に普及していきました。
1973年、オイルショックが世界を襲います。日本も大きな影響を受け、省エネルギー、省資源の重要性が声高に叫ばれるようになり、このことが人々の暮らしを照らす「あかり」の省電力化への契機となりました。
1980年、消費電力が高い白熱電球を蛍光ランプに置き換えるべく生まれたのが「ネオボール」。世界で初めて発売されたボール電球形状の電球形蛍光ランプです。
そして現在、高効率で明るさと省エネを実現し、地球温暖化防止と経済性を両立したLED照明が脚光を浴びています。東芝グループがつくる各種のLED照明は、省電力だけでなく長寿命や水銀レスなども考慮。設計から製造・使用・廃棄にいたるライフサイクルを通じて環境負荷の低減が図られているのです。
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