ス&研究開発部門電池部門エネルギーシステムソリューションインフラシステムビルソリューションソリューションリテール&プリンティングソリューションデバイストレージデジタルソリューションソリューションスタフ部門企業情報田中は工場に「万般の機械考案の依頼に応ず」という看板をかかげ、国民の生活向上のために、損得も考えず、培った技術を惜しげもなく提供することを宣言しました。1960年 日本初のカラーテレビ受像機1967年 世界初の郵便物自動処理装置電信機工場(田中工場)(開設時76歳)からくり興行師として行脚(20歳代)1985年 世界初のラップトップPC藤岡が信条とした言葉は、「至善」。「人々のために、社会のために正しいことを尽くす」という意味の言葉です。彼の人生はまさに、その思いを貫き通したものでした。1991年 世界初のNAND型フラッシュメモリ日本初の白熱電球(1890年)1996年 世界初のDVDプレーヤー03 1875年に創業した東芝。そこには、近代日本のものづくりの礎を築いた2人の存在がありました。田中久重による重電機製造、藤岡市助による軽電製品づくり。この2つの流れが融合して生まれた東芝は、創業以来約150年にわたり安全・安心な社会基盤をつくり、支え続けてきました。田中 久重 東芝グループはものづくりを通じて、暮らしや仕事に便利で豊かな価値をお届けし、現在では新たなデジタル社会を先頭に立って切り拓いています。一人ひとりの人をきちんと見つめることから、革新的な技術が生まれ、人々の暮らしは進歩していく。すなわち、社会に寄り添い、その幸せを一緒に考えていくことで、初めて技術は世の中を変える力になるのです。 これはまさに、田中と藤岡から始まり、長く培ってきた東芝グループの技術の本質です。そして、これから時代がどれほど変化しても、永遠に変わることなく受け継がれていく東芝グループのDNAだと考えています。藤岡 市助変わらないものが、未来を変える。東芝グループのDNA
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